『出典・ポケットモンスター公式サイト

 

『めざせポケモンマスター』の歌詞にも登場する、『ポケモンマスター』という称号。

 

マサラタウンに住む少年サトシは、『ポケモンマスター』を目指す冒険を続けており、早26年という月日が経過しています。

 

では、ポケモンマスターとは一体どうやったらなれるのでしょうか?

 

その意味や定義をサトシが歩んできた26年の冒険からひも解いていきます。

 

スポンサーリンク

目次

ポケモンマスターとは?意味や定義をサトシの26年を通して学ぶ

ポケモンマスターとは、日本語として直訳するならば、『ポケモンを自由に使いこなす者』であり、辞書のように難しく説明するなら『ポケモンの生態系に精通し、育成およびバトルを熟達した人物』と表現できるかもしれません。

 

つまり、その意味を想像することは容易な言葉ですが、定義として型にはめることが困難な称号なのです。

 

何故なら、『ポケモンを自由に使いこなす者』として思い浮かべるのは、ポケモントレーナーだからです。

 

ポケモントレーナーとは、ポケモンと心を通わせ合い、信頼と愛情を忘れずに接することで共に成長していくことができる人物です。(オーキド博士いわく)

 

この説明を鵜呑みにするのなら、ポケモントレーナー=ポケモンマスターという定義にも捉えることができます。

 

しかし、それは大方の見解から考えてもおかしな話であり、そんな簡単になれるのならサトシが26年間も旅を続ける必要もありません。

 

このことから分かる通り、ポケモンマスターとはポケモントレーナーになった者が目指すべき境地(称号)であることを意味します。

 

その明確な定義の確信に触れたものは誰もいないと思いますが、それにもっとも近い人物であるサトシの26年を見れば、ある程度の予想を立てることはできるでしょう。

 

根本的な話をすれば、ポケモンマスターを当初から目指しているサトシが25年かけてもたどり着けない境地だと分かります。

 

普通の10歳が目指しているなら無理だと思いますが、サトシはそんな軟な子供ではありません。

 

大木から落ちても、崖から落ちても、果てはリザードンの『かえんほうしゃ』、ピカチュウの『10まんボルト』を食らってもケガ1つ付かない超人的な身体能力を持っています。

 

なので、私たちが27年間ポケモンのゲームをプレイしていようと、サトシの26年と比べてしまうと格が違うことが分かります。

 

サトシはカントー地方からジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロス、アローラ、そしてガラル地方を歩いて回っている熟練の冒険者です。

 

ポケモンの生態ばかりか、そこに住む人々と交流を深め、ポケモンにまつわる文化も網羅しています。

 

それでもサトシは良しとせず、ポケモンマスターを目指す旅を続けているのです。

 

つまり、ポケモンマスターへの道は非常に困難な道のりであることが分かります。

 

まとめると、最低でもこれらのことは行っていなければポケモンマスターにはふさわしくないようです▼

●すべての地方を回っている

●地方それぞれの文化を体験する

●ポケモンの技を身体で体感し、その威力を身を持って理解する

●ポケモンと同じようにトレーニングをし、自分がポケモンになろうという努力もいとわない(ゲッコウガのエピソード参照)

●伝説のポケモンにすべて出会う

 

ただ、唯一サトシが成し得ていないこともあります。

 

それは、リーグ制覇です。(※その後、アローラとガラルは制覇できました)

 

未だかつて、サトシはポケモンマスターの基本概念ともいうべきリーグ制覇をしていないことから、この要素がポケモンマスターの定義に最も近いことが証明できるエピソードなのかもしれません。

 

とはいえ、リーグ制覇で得られる称号は『チャンピオン』であることを忘れてはいけません。

 

このことを考慮すれば、すべての地方のリーグ制覇がポケモンマスターの定義の1つとして考えることができます。

 

ポケモンマスターを目指す者の減少

ポケモンマスターという言葉は、ポケモンファンなら誰でも知っている言葉です。

 

ただ、サトシの住む世界においては、ポケモンマスターを目指す者は減少傾向にあるようです。

 

『キミにきめた』で登場するマコトも「ポケモンマスター?」と尋ねるシーンがあり、その称号を知らぬ新米トレーナーも登場するようになっています。

 

しかし、そもそもポケモンマスターという言葉を自発的に口にしている人間は、実はそれほど多くありません。

 

有名なトレーナーでいえば、ライバルのシゲル、四天王のワタルが使っていますが、そのほとんどがカントー出身の人間です。

 

このことから分かるように、ポケモンマスターはカントーで生まれた言葉である可能性が高いようです。

 

ただ、他の地方のトレーナーでもサトシに「夢はポケモンマスターになることだ」と言われると理解を示す者もいるため、1度は全世界に広まった称号だったようです。

 

もしくは、ポケモンが戦争に使われていた時代に、争いを収めた者に送られた称号だったのかもしれません。

 

それとも、ポケモンマスターがあまりに夢物語すぎて、大人になると口にしなくなってしまう言葉とも考えられます。

 

どちらにせよ、現在はその言葉を自発的に口にする者が少なくなっているようです。

 

これらを考慮すると、サトシは本当に凄い人物だと思えてきます。

 

子供っぽい夢であっても・・・現在は誰も口にしなくなっても・・・自分の夢をはっきりと口にし、それを目標として旅を続けているのです。

 

現代社会に置き換えて考えても、それを真似できる人は少ないのではないでしょうか?

 

だからこそ、サトシはポケモンマスターに最も近い人物だといえるのです

 

ついに公式発表!サトシの口からポケモンマスターの定義が公開される!

2023年3月24日、サトシが主人公のポケットモンスターが最終回を迎えました。

 

今まで多くを語らなかったサトシでしたが、この最終回においてポケモンマスターの定義を相棒であるピカチュウに向けて言い放ちました。

 

サトシ「オレ、世界中全部のポケモンと友達になりたい。それがきっと、ポケモンマスターってことなんだ」

 

実にサトシらしい言葉ですね。

 

ほとんどのメディアはこの情報だけを掲載し、このサトシの言葉の意味について深く紹介していないようです。

 

なので、私なりにこのサトシの言葉の意味(というよりはアニポケスタッフやゲーフリが込めた想い)を考察していきたいと思います。

 


まず、『ポケモンと友達になる』とは、必ずしもゲットすることを指す言葉ではありません。

 

それは、サトシのこれまでの旅を見ていれば安易に想像がつくはずです。

 

映画で登場した伝説のポケモンたちをサトシはゲットしていませんが、ともに話し合い、ときにはバトルを行って絆を深めていきました。

 

つまり、まだ見ぬポケモンと出会い、そのポケモンと分かり合えたとき、サトシは『ポケモンと友達になれた』と定義しているのではないでしょうか?

 

そして、新種のポケモンは毎年のように発見されていきます。

 

現在はパルデア地方が最新作ですが、きっと10年後にはもっとたくさんの地方が登場しているはずです。

 

つまり、世界中全部のポケモンと友達になれる日は人生をかけて追い求めなければ手に入らないことを意味します。

 

だからこそ、サトシは最終回で「チャンピオンになっても、オレはチャレンジャーだと思っている」と口にしたのではないでしょうか?

 

そして、これは裏を返せば、「ポケットモンスターは最終回を迎えるけど、サトシとピカチュウの旅は終わることはありません」という製作者のメッセージとも受け取ることができますね。

 

そう考えれば、サトシが目指すポケモンマスターがいかに尊い存在であるのかを再確認できた気がします。

 

スポンサーリンク

まとめ

マコトは、「ポケモンマスターって、世界一のポケモントレーナーになるってこと?」とサトシに質問しています。

 

「それよりもっと上さ」・・・それがサトシの答えでした。

 

サトシの言葉を信じるのなら、ポケモンマスターとは『仙人』に近い存在なのかもしれません。

 

仙人は、自らを仙人とは名乗りません。

 

山にこもり、我が道を極めている人物です。

 

最初は、周りの人たちに変人だと笑われるかもしれません。

 

でも、いつかその生き方に憧れを持ち、弟子入りする者が現れるかもしれません。

 

月日が流れれば、彼に対する評価も変わっていくことになるでしょう。

 

その時初めて、「あの人は仙人だ」と人々が口にするのだと思います。

 

サトシも冒険の最後には、人々から「あいつこそ、ポケモンマスターだ」と呼ばれる日が来るのかもしれませんね。

 

人気記事

キミに決めたの感想と評価!内容あらすじを小説風に紹介【ポケモン映画】

コイル祭り、再び?コイルショックと呼ばれている事件

スポンサーリンク